野良猫とワルツを踊った
精神病に完治はなく、ただ深い孤独と緩やかな浮上が繰り返されるだけだ。この頃は自傷行為や依存症など、いろんな精神病の記事で「緩やかな自殺」という言葉をよく見る。私が最初に見たのは確か中島らもの「アマニタパンセリナ」だったような気がする。それとも松本俊彦医師の論文か…。緩やかな自殺、すごく綺麗な響きだと思う。優しさもちゃんとある。もしかしたら医学用語になっているかもしれない。まあいいや。
個人的に知人とも認定していないただの「連絡先を交換してしまった人」たちから「体調はどう?」と優しい連絡が来るたびに、心底嫌な気持ちになる。この優しさを不快に捉えてしまう時点で私は最悪な人間かもしれない。でも正直鬱陶しい。もうみんな私のことなんか忘れてよ、という気持ちになる。昨日入ったカフェではガキの汚い落書きが「アート」として張り出されていたのでわざとらしく鼻で笑ってやった。その美的感覚でよく今まで生きてこれたな。でもこの嫌味は特大ブーメランとなって私に返ってくるだろう。こんな意地汚いプライドの化身みたいな美的感覚で生きているから何事も上手くいかないんだ。
そういえば一昨日の朝、なんとなしにTwitterを開いて一番にタイムラインにでてきたのは若い男の子の自殺配信だった。もう垢BANされたかもしれないが、とにかく私が見た時は投稿されて間も無かったのでしっかりと観ることができた。もしものためにブックマークと画面録画も忘れない。嫌な人に見えるかもしれないが、同年代(特に日本人)の自殺配信動画は夜中咄嗟に死にたくなったときに見返すとなんとなく心が救われるのだ。今回の子は思っていたよりすごかった。マンションの塀に両肘をつき項垂れるように俯いてから、急にスイッチが入ったように身を乗り出して頭から落下した。落下音もちゃんと入っている。音の大きさと時間的におそらく5〜7階とかそこらへんから飛び降りたんじゃないかと思う。まあそれはどうでもいいんだけど。辛いとは思ったよ。可哀想とは思えない。肌寒くなってきた時にみんな死んでしまうなと思っていたけど、きっと誰もが夏を生き延びたんだ
死にたいと言える人がほしい
もう疲れた。大体いつも疲れてるけど今度こそ疲れた。鍵垢で繋がっているフォロワーなら察してくれるだろうが、今日の希死念慮は信じられないほどいきなり現れた。もちろん数時間前にブロンを飲んだ前提の話。文字を打つのにも文章を考えるのもそれなりに体力と根気がいるので、今日はもう頭の中を全部吐き出すつもりでやっていく。
ほとんど毎日感じている劣等感がついさっき大きな塊として突如降りかかった。みんな冗談で「友達がいない」と笑いながらよく言うが、全員殴り殺してやりたい。近況を堂々とインスタで発表できるほどの豊かな人間関係はさぞかし素晴らしいものでしょうね。もうここまでくると果たして自分が羨んでいるのか妬んでいるのか絶望しているのか悲しんでいるのかすらもわからなくなってきた。数少ない友達(というより知人)が続々と新生活を報告していくなかで私だけが今日は断薬した、明日はブロンを買いに行くなどとカレンダーに丸印つけて爪を噛んでいる。もう自殺させてください。やっぱり一人で死ぬのは怖いから南海トラフきてください。みんなで死のう。で、手首を切った。半ばヤケクソな感じ。変な言い方になるけども私にとってのリストカットは瞑想と似ている気がする。目を閉じて深呼吸をして、手首に剃刀を置く。ゆっくりと深く引く。細く神経質な、それでいて幼稚な痛みがピリッとはしる。ひとつの糸がピンと張ったような感じ。痛みは普通にある。「リスカって痛くないの?」という凡人の質問にも今ならちゃんと答えられる。痛いです。痛くなかったらやってないです。その痛みを救済と錯覚するほどの醜さです。
理想の中で怠惰
今すごく頭がこんがらがっていて、それこそツイートしたような無数の糸が大量に絡まっている。大きな毛玉でもあり、華奢なチェーンネックレスが絡まったような感じもする。5時間前にブロンを飲んだはずなのにとても悲しい。情報も処理できず、最初の目的のために開けた引き出しを次の目的に移る前に閉めることもできず、どんどん散らかっていく。そもそも引き出しを閉めるという表現は正しいのか、戻す?開け閉めって扉ではないのか、そんな小さな疑問が絡まった糸の周りを漂っていて、もう疲れる。紙に書いて整理しようとしても書いた字のバランスが気に食わずイライラしてしまう。ひどい時は癇癪を起して破り捨てるか、泣く。声は上げない。出さない。私はいつだってそうして飲み込んできた。たった今さっき追加したブロンが今内臓で暴れている。私は本当に教養がなく勉強もできないので、なぜODをしまくったら肝臓がやられるのかわからない。人の臓器をえぐりだすグロテスクな映画をさんざん観ているのに、臓器の名称も役割も漢字もわからない。今日は昼から病院だけどどうやら雨っぽい。髪の毛はぱさつくしまつげは上がらないし嫌だなあ。眠気が襲う。ここで眠って思考を強制終了させるべきか、残り6錠のブロンを飲み干してどうにかハイに持っていけないかと粘るか迷う。人生は選択の連続だ。ODの後遺症で人一倍敏感になった触覚を駆使して文字を打つ。映画「憎しみ」のセリフ、「重要なのは落下ではなく着地だ」を思い出すたびに今の自分はどこにいるのだろうと考える。着地が大事なのもわかるがどこから落下するかも同じくらい重要だと思う。イメージしているのは反り立った崖。崖の断面にはいくつもの出っ張りがあって、落下しながら度々そこへ引っかかる。それは奇跡的なことかもしれない。落下の速度だって一定ではない。ただ最悪なのは着地点が一向に見えないことだ。何よりも怖い、底無し。
眠れない時のノート
恵まれた家庭の中で自分だけが異物として生まれた疎外感、自分と社会を隔てる壁があるとは思わず、ぱっくりと切り離されているように感じる。崖の向こう側。日によっては歩いて渡ることもできる、外へ出て普通と同じようにふるまうこともできる。でも今の自分にはそれが難しい。抗うつ剤が効くまであとどのくらいかかるのか、12時間以上も眠ってしまったのは頓服を一度に2つ飲んだせいか、夜の部屋でエアコンの稼働ランプとモバイルバッテリーの残量を知らせる点滅の光だけが輝いていて、それぞれが線香花火、夜間飛行している飛行機の灯火に見える。だとすれば今ここは宇宙だ。それなのに一番星はどこにも見当たらない。
昨日キマってた時に書いたブログ
不安の中暗闇の苺畑を通りすぎる手伝いをしてくれたのはmiss miseryだ
私は全てを愛しいと思う
音楽の一部になったしさ、酩酊でも愛はあるのよ、少なくともそこらの若者よりかはずっと判っている。今夜は罪悪感のない良いトリップだ。普段はバイトで看護本を担当してるから精神看護の本とか暇な時よく見る。笑ってしまう。私たちこんなふうに危険人物扱いされてんだって、壊れ物なんだって、抱きしめられるべきなんだって。ゆっくりでいい。ゆっくりでいいと言いつつも私はいつも早歩きだなあ。
そうだわたしは、夜中家から出ようとした。正確に言えば車に薬を取りに行こうとした。恐ろしかった。わずか3センチの間、外だ。私は親を裏切ることなんてできない。リビングに戻って何食わぬ顔で音楽を再生する。でもメジコンはちゃんと効いている。これお笑い?
ごめんね、でも愛している。家族を愛している。依存症だから優先順位がどんどん狂ってしまっている。もう薬の抜け目が本当に精神的にキツくて、全部忘れたいな。記憶もなくなればいいのに。
■
1日に何回ブログを更新するんだ。さっきメジコン効かないのがやになって家にあった少し良いシャンパンを直飲みしてしまった。ここでようやく視界が二重になり始める。でも私はまだウインクしないよ。この下りはたしか前のブログでもあったw
シラフでもキマってても根底にはちゃんと哀しみがあるよ。現実逃避なんて手段の一つにすぎず何の解決にもなっていないよ。今、すごく親に申し訳ないと思う。うちは家庭環境ほんとに良くて恵まれてるから、だからこそ何で私はこんな失敗したんだろうって、親ガチャならぬ子ガチャ大失敗でごめんねって気持ちで土下座したくなる。
私は全てを愛していたい。善良な人間だし、間違っても幻覚で見たサーモンピンクの概念とか球体とか緑色のカップケーキだけを追いかけるような人になってはだめだわたしは、そろそろ薬が効いてきたのかもしれない。今聴いてる音楽が本命といた時のことを思い出して泣いてしまう。視界が二重になってるのは涙のせいかメジコンのせいかわからなくてさ、闘牛士が赤いマントを振り回すように、ピザ職人がピザの生地をくるくる回すように、幻覚の模様って無限に煌めき溢れ出てくるの この素晴らしさ、わかる?わからなくていい。分かってしまえばいつか着地に失敗してあなたは粉々になる。そして泣いてくれる人さえいない。