理想の中で怠惰

今すごく頭がこんがらがっていて、それこそツイートしたような無数の糸が大量に絡まっている。大きな毛玉でもあり、華奢なチェーンネックレスが絡まったような感じもする。5時間前にブロンを飲んだはずなのにとても悲しい。情報も処理できず、最初の目的のために開けた引き出しを次の目的に移る前に閉めることもできず、どんどん散らかっていく。そもそも引き出しを閉めるという表現は正しいのか、戻す?開け閉めって扉ではないのか、そんな小さな疑問が絡まった糸の周りを漂っていて、もう疲れる。紙に書いて整理しようとしても書いた字のバランスが気に食わずイライラしてしまう。ひどい時は癇癪を起して破り捨てるか、泣く。声は上げない。出さない。私はいつだってそうして飲み込んできた。たった今さっき追加したブロンが今内臓で暴れている。私は本当に教養がなく勉強もできないので、なぜODをしまくったら肝臓がやられるのかわからない。人の臓器をえぐりだすグロテスクな映画をさんざん観ているのに、臓器の名称も役割も漢字もわからない。今日は昼から病院だけどどうやら雨っぽい。髪の毛はぱさつくしまつげは上がらないし嫌だなあ。眠気が襲う。ここで眠って思考を強制終了させるべきか、残り6錠のブロンを飲み干してどうにかハイに持っていけないかと粘るか迷う。人生は選択の連続だ。ODの後遺症で人一倍敏感になった触覚を駆使して文字を打つ。映画「憎しみ」のセリフ、「重要なのは落下ではなく着地だ」を思い出すたびに今の自分はどこにいるのだろうと考える。着地が大事なのもわかるがどこから落下するかも同じくらい重要だと思う。イメージしているのは反り立った崖。崖の断面にはいくつもの出っ張りがあって、落下しながら度々そこへ引っかかる。それは奇跡的なことかもしれない。落下の速度だって一定ではない。ただ最悪なのは着地点が一向に見えないことだ。何よりも怖い、底無し。