愛する者を失え

ブロンODについて少し真剣に考える。

主治医にずっと言われてるのは「自分がいいと思える自分でいる」つまりいつだって素敵だなと思える自分を選択すること。人生は選択の連続だ。

ヤバイ!トレスポのイントロが流れてきた!!そういえば先日T2(トレスポ20年越しの続編)の冒頭のサントラを流して運転したらリアルに事故りそうになった。

 

今月のバイトは良いのか悪いのか、2連勤からの2連休が多い。体力的にはかなり助かるけど依存症的にはきっと最悪だ。現に明日明後日と連休で、ちょうど1時間前にブロン30Tをえずきながら飲み干して今はルンルンでお風呂に浸かっている。効果はそろそろ出るはず。

そもそもブロン=悪となぜ考えるのか。みんなが映画を観たりコーヒーを嗜むのと同じように娯楽として捉えればそんなに辛くないのでは?とふと思って自分に言い聞かせるようこれは娯楽!とブロンの空箱を手に嬉々としてレジに向かった記憶だってある。

 

正直なところブロンODの最中より飲む前の方が圧倒的にテンションが高い。昨日のバイトもブロンのことばかり考えて、今日終われば夢の時間だぞとひたすらエスプレッソを落としていた。それでもコデイン's Highは簡単には手に入らず、あの多幸感を得るには糖衣でコーティングされたブロン錠を30Tも飲み込まなければいけない。

自分は基本5錠ずつに分けて飲むので、その地獄を6回も繰り返す。6回だぞ?調子がいい時は3回目くらいまで難なくすらすら飲み込めるが今日のように調子が悪い時は1回目でもうしんどい。それをあと5回だぞ?それに加えて糖衣の甘さを誤魔化す飲み物(主にジュース)を用意してなかった場合、水オンリーで流し込むしかない。水という味のない液体と溶けやすい糖衣錠の組み合わせ、口内地獄のSHOWTIME🎪 まず口に入れた時点で吐き戻してしまうこともあるし、なんとか飲み込んでも1錠だけ口内に置き去りにされることもある。これが一番地獄。無事に飲み込めても糖衣の不快な後味は必ず残る。なので予めお口直し用のお菓子(個包装)を用意した方がいい。ちなみにブロンを流し込むのに最適だった液体はかぼちゃスープ。これは先日発見した。うちの母が作る絶品かぼちゃスープ、砂糖も何も入っていない素材100%の甘みで私のおふくろの味。それでブロンを飲み干す。親への有り難みとか申し訳なさも一緒に飲み込む。

 

そもそも私は全てに意味を見出しすぎる。何もかもに希望を持ちすぎ。そして期待値も高すぎ。若者のくせに真面目に深刻に考えすぎ。バイト先の同世代のギャルたちを見習いたい。この若さだったら日常の大半に基本意味なんてない。毎日楽しくのほほんと、一生遊んで暮らしたいなとか思ってればいい。バイト先の対人関係についておや、と思うこともあるが相手は自分のことなんて考えてないし考えてもすぐ忘れてる。ブロンもそれと同じ。日常生活の一瞬の娯楽として軽く受け止めればいい。今のところ人生に深い意味なんてない。

 

ここまで必死にブロンを飲むことを正当化してるが、本当は悪いことだって気付いてる。そうじゃなきゃこんなブログ書かない。一昨年の冬、職場の駐車場で「車のハンドルを握って涙堪えるような人生にだけはしたくない」と思った瞬間を鮮明に覚えている。本当にそう。これは市販薬ODのみならず全ての自傷行為に対して言えること。

 

「人生は正解を探すゲームではなく選んだものを正解に変えるゲーム」と聞いたことがある。

ブロンを買うことが間違っていて不正解なら正解にすればいいだけのこと。一度落ちるとこまで落ちて前を向けばその選択は正解になる。今までの人生における過ちも全て不正解で、じゃあそれを正解に変えようと努力したことは?もし選んだ未来を正解に変えることすらできないなら、生まれてきたこと自体が間違いだろうか。

 

定期的にやってしまうカウンセリングすっぽかし事件をまたやらかして再予約の電話もできないまま1ヶ月が経った。バイトの休憩中に外に出て震える手で精神科に予約の電話を入れる虚しさが分かるだろうか。電話を切ると何食わぬ顔で店に戻りエプロンをつける。笑顔で挨拶、ラテにお砂糖は入れますか、ご一緒にスイーツもいかがですか、お席までお持ちしますのでお好きな席でお待ちください。冷蔵庫を開ける、エスプレッソを落とす、スチームをする、まだ修行中のラテアートは適当に誤魔化す。こんにちは、いらっしゃいませ、早く死にたい。根本的に見れば私も皆んなと同じ何かを抱えた普通の人だろう。そしてこの虚しさが本当に好きだったりする。

 

Twitterでたまに「ブロン」と検索をかけては同士かもしれない人たちをぼんやり見るのが好きだ。先日見たのは「深夜唐突にブロンが飲みたくなって隣町の薬局まで車を走らせる時のワクワクをみんな知らない」。的確すぎる虚無と皮肉に思わず唸りプロフィールに飛ぶと藝大生だった。もう何も言えない。アーメン。

 

今描いているファニーゲームの模写が終わったら来年の県展に向けて大きいパネルにちゃんとした作品としてデッサンをする予定でいる。対極のものを組み合わせたいと思っていて、それは質感だったり一般的なイメージだったり色々。資料集めとして、日常風景の中でいいなと感じた瞬間はすぐに写真を撮るようになった。今はコンビニで簡単にプリントできる時代だし、視覚的な思い出を少しでも残しておきたい。先日バイト終わりに画塾まで向かう道中、時間帯のお陰もあり夕暮れがとても綺麗だった。パステルピンクのグラデーション。瞬間的にこんな空を描きたいなとスマホを取り出したがそこで今自分が描こうとしている絵を思い出す。鉛筆デッサンは黒一色だ。テクニック次第で質感や空間などは表現できるけど夕暮れの絶妙なグラデーションは鉛筆デッサンには確実に不向き。虚しさとともにぼんやり、白黒の絵しか描けない(描かない)って虚しいこと?

  

今はまだ不安でいいと先生に言われた時、久々に安心したしちゃんと納得もできた。それでも不安なまま市販薬を流し込むだけじゃこの日常は好転しないことも分かりきっている。これから描くデッサン作品が自分にどんな影響をもたらすのかまだ分からない。本音を言うと若干嫌な予感もするがきっといつも通りの過程だろう。その時陥ると全てが絶望的に見えるだろうが大丈夫。今までその繰り返しだったことを忘れないで。その苦痛は死ぬまで続くことも。

 

 

大好きな映画、T2トレインスポッティングの終盤で主人公のレントンが早口で興奮気味に捲し立てるシーンがある。使い古した諦めの中に垣間見える期待が眩しい。いつ見ても聞いても何かを思い出させてくれる素晴らしい脚本。

『選べ、ブランド物の下着を。むなしくも愛の復活を願って。
バッグを選べ。ハイヒールを選べ。
カシミヤを選んでニセの幸せを感じろ。
過労死の女が作ったスマホを選び、劣悪な工場で作られた上着に突っ込め。
フェイスブックツイッター、インスタグラムを選び赤の他人に胆汁を吐き散らせ。

(中略)

子供を産んで後悔しろ。
あげくの果て、誰かの部屋で精製された粗悪なヤクで苦痛を紛らわせろ。
約束を果たさず人生を後悔しろ。
過ちから学ぶな。
過去の繰り返しをただ眺め、手にしたもので妥協しろ。
願ったものは高望み。不遇でも虚勢を張れ。
失意を選べ。愛する者を失え。
彼らと共に自分の心も死ぬ。
ある日気づくと、少しずつ死んでた心は空っぽの抜け殻になってる。
未来を選べ。』

 

 

 

頭部は何重にも包まれたように重くお腹の中で何かが蠢いている。指先の感覚も動かさなければそのまま消えていき透明と化す。眠気はひどいのに瞼はやけに軽く息も落ち着いている。目を閉じて瞼の裏で何かが分裂していく感覚に溺れる。脳のどこかを取り除いてうつを消し去るロボトミー手術が昔は存在したのかとぼんやり思う。それでも夜は明けない。

 

本来の私は向上心が高く真面目でいつだって本気で物事に取り組む。穏やかで平和な毎日を望み周囲の幸せを願う。こんな小さな世界でも誰かとの繋がりは大切でかけがえのない資産。たまにみんなが愛おしくて堪らなくなる。本当に優しくて常識のあるまともな人間。

未来を選べ。自分の人生を、今はまだ不安でもいい。でも人生どうにかなるように今から準備はしておくべき。生まれてきたことを不正解から正解に変えるのは容易いことではない。絶対に愛のある人生を選べるように、私はもう私を許したい。今日もきっと納得できないまま薬局へ向かう。今は色彩の存在しない絵を描いているけど自分が見ている世界はモノクロなんかじゃない。