痛みとは安らぎです

メジコンを飲んだ。それはブロンに比べてとても小さくて軽い、糖衣でコーティングもされていない。飲み込み時の吐き気も甘ったるい不快な後味もなく、掌に乗せてもこぼれることなく留まってくれる。その佇まいに気品すら感じる。

ああ私はまだ夢を見ているかも。昨夜メジコンで視界が歪む前にと急いでつけたネイルチップが今タイピングの邪魔をしている。でも可愛ければいい。この世はビジュアル主義だから。

市販薬依存が再発する前までは、正直幸せになりたいなんて明確に思ったことはなくて、ただこの虚無からどうすれば逃げられるのか、目の前の課題にひたすら苦悶していた。願望よりも解決を優先していたのだ。

 

ブロンに初めて手を出したのは中3で、そこから高校卒業までは依存することもなく適度な頻度で使っていた。一貫して苦しんでいたけどね。

高校を卒業して一人暮らしを始めてから本格的に依存症がスタートして、当時はニートで時間が有り余っていたのもありかなりの地獄だった。今は実家暮らしでそれなりにストレスもあるけどかなり救われている。何度もいうが、一人暮らしでニートで鬱でブロン依存は地獄だ。

まあその依存もマンションを退去して実家に戻ったらすぐ治ったのだけど、その半年後くらいにまた再発した。でも当時は素晴らしいことに早い段階でブレーキをかけることが出来て、2週間ほどでピタリと使用は辞めた。それからはおそらく2年以上使っていない。もうこれでおしまいだと、この先飲むことはないと思います!と自慢げに話した当時の私を見て心理士は何を思っただろう。

数年振りのブロンODは去年の秋、バイト先で仕事内容をはじめ不眠についてまで口出しをされて絶望的な気持ちになり薬局へ向かった。仕事内容についてはまだしも、不眠問題にまで踏み込んでくるなんて私の何がわかるのだろうと思った。車の中でたくさん泣いて、もうブロンしかないと思った。きっかけが欲しかっただけかもしれない。

言っておくけどその時のブロンODは精神的にもとても良かった。翌日に響くこともなく、これから気を引き締めてバイト頑張るぞ!って気持ちになった。実際仕事でもいい方向に事が進んだ。

ブロンは効果で言うとメジコンに比べてよっぽど優れている。メジコンはひたすらキマってるのを愉しむ、むしろ視界が歪むので歩くことすらまともにできない。その点ブロンは完全に自我が独立したままやる気を出してくれるので周りから見ても何も変わりはない。今でもブロンを飲んだ時の方が圧倒的に仕事は捗る。

 

ここで区切りをつけるべきだったのに、どんどん私は落ちていく。少しの間は罪悪感も鬱も虚無もあったが同時に向上心もあって、景気付け感覚で休日にご褒美程度に飲んでいた。ブロンを飲んでバイト行くことだけは絶対しないと、周りに迷惑かけるくらいならやめると決めてもいた。いうまでもなく、数か月後にはブロンを飲んで普通に出勤していた。カフェインのせいで眠れなくて徹夜とかも全然あったし、最終的にはいろいろ揉めてしまってそのバイト先は2月いっぱいで辞めた。

 

そして来る3月、私にとって魔の期間だった。それならば今の4月は転換の時期かもしれない。

まず最初に、数週間だけ無職になった(今はちゃんとバイトしてます)。無職というのは本当にきついもので、精神的にも金銭的にも常に焦りがあって不安定になる。みんな働きたくないと言うが、絶対働いた方がいい。いくら事務的でも家庭以外での繋がりと多少のストレスはあった方がむしろ人生は豊かになる気がする。

 

そんな一番不安定だった時期、最悪のタイミングで父親が今世紀最大の怒鳴り声を上げた。一年ほど前から私と父親はギスギスしていて、言葉も最低限しか交わさない。詳しくはいわないが、とにかくその間溜めに溜めた父親のストレスがその日爆発したのだ。もともと温厚で怒鳴るような人ではないのでそのぶんショックも大きく、殺されるのではという本能的な恐怖すら感じた。人格を否定するような言葉をいろいろ言われたけど、簡潔にまとめると私は生まれてくるべきではなかったらしい。

家庭環境には恵まれているし親に感謝はもちろんしているが何せ私には2つ上に信じられないほど出来のいい、この世のお手本みたいな姉がいる。ありがたいことに両親は私と姉を比べるようなことは一切してこなかった。それでも私はいつしか自分と姉とを比較し続けた。姉への憧れや嫉妬、劣等感は諦めに変わり、自分の存在を否定することで少しは心が軽くなった。

怒鳴られた直後は私が生まれてきたからだ、死ななきゃ死ななきゃって強迫観念とともに久々に手首を深く切り刻んだ。2月いっぱいで辞めたバイト先が飲食関係で、一年中腕まくりをしているため必然的にリスカができなかったのだ。使い古した貝印が硬くなった皮膚に食い込む感覚と心を裂くような重い痛みが懐かしかった。涙と血の流れるスピードが一緒で、涙を拭くべきか血を止めるべきか迷ったほどだ。ティッシュを持ったまま右往左往する右手を見て思わず笑ってしまった。もちろん本気で死を考えた。母親に縋るようにLINEして、禁句だろうけど「生まれてきてごめんなさい」と送った。私だってこんなLINE送りたくない。そして今ではすべてを受け入れた。私は生まれてくるべき存在ではなかった。いなくてもいいとかそんな後付けの理由じゃなくて、生まれてきたこと自体が間違いだった。この気持ちが消えることはないだろう。それでもどうしようもない事実だから親への罪悪感には蓋をした。

 

依存が加速したのはそこからだろうか、一応この4月からは毎日飲んでいる。でもたくさんではなくて、8錠とかそれなりに量をコントロールしている。なんせお金がかかるのでね。

 

ブロン歴は長いけど実はメジコンデビューはつい最近だ。正確に言うと4月17日。その日はカウンセリングだった。前回のカウンセリングから1ヶ月半が経ち、話したいことはたくさんあった。父親に怒鳴られて久々に本気で死のうと思ったこと、あの日からずっと世界がぼやけてて20代で死のうと決意したこと。父親への拒絶を決めて姉への劣等感を受け入れて母への罪悪感には蓋をして、余命8年と思って生きていこうと決意したこと。3月下旬の大阪旅行を楽しんだこと。そこで人生初ホストに行って沼りそうになったけど今は持ち直していること、健常者と一緒にいると自分との違いを見せつけられて辛くなること、恋愛依存かもしれないこと、バイトが楽しいこと…。


私の中で話のメインは大阪旅行のつもりだったけど、そこまで会話が続くことはなかった。心理士はどうやら父親にガチギレされた日が私が一番話したいことだと思ったみたいで、まあ心理士としてそこを深く掘るのが普通だろう。その流れで20代のうちに死のうと思って…と話したら空気が変わった。とても怖いような、それでいて私をまっすぐ見つめる瞳。顔を上げられるわけがない。叱られはしなかったけど、「本当に死ぬって決めてる人は私はカウンセリングには来ないと思う」と言われ、え〜違うよって反論したかったけどとりあえず頷いた。納得させることはできないと思ったから。結局、本当に20代で死ぬつもりなら次回の予約は取らなくていい、それはあなたが決めること、私はカウンセラーとして人生に希望を見出す手助けをするから諦めている人には何もしない、とど正論を言われ、予想外の反応に私も謎にキレ出して次回の予約は取りません!と言い放って診察は終わった。会計を済ませて病院から出たとき、これが最後になるかもと思った。夕日が眩しく車内は蒸し暑かった。予想外の展開に驚いたけど傷つきはしなかった。むしろこうやって1人ずつ離れていくことで死を身近に感じられた。このまま切り離されて1人で死んでいくのか。

その日はなぜか真っ直ぐ家に帰りたくなくて、気づけばドラストに車を停めていた。なんとも形容し難い感情。沈黙の中、私は至って冷静でむしろ薄情だった。数時間前に入れたブロンが切れてきて眠気が襲う。ようやく重い腰をあげて車を出る。聞き慣れた店内BGM。ブロンの空箱を手に取る、近くに陳列されたメジコンが目に留まる、明日は休日、買わない理由なんてない。もう心理士には見放された。大学生らしきバイトの女の子がレジにいるのを確認してほっとする。登録販売者だと厄介だから。帰宅後、思い出したように頭痛がする。でも大丈夫、数時間後には落ち着く。もはや私の相棒とも呼べる「虚無」はいつだって穏やかに自我を包み込んで、私を守ってくれる。

(続)                  

違うきっと欲しいものなんてない けどなんか物足りないの

人それぞれの地獄ってわかるけど。普通にわかるけど、それでもみんな精神科には行かない。カウンセリング受けてると言ったら気遣うようなでも何も気にしてませんよ偏見なんてないよみたいな感情が丸見えの声色で「そっかあ」と言われる。

もう終わりにしたい。カーテンから透けて見える朝日に吐き気がして涙は止まらなくて、ここ数日枕がずっと湿っている気さえする。

ブロンを飲んでやる気を出すとよく言うけど、何に対してのやる気?生活?お風呂?色々思い浮かぶことはあるけどそんな実用的な話じゃなくて、カフェイン過多で今日も眠れない。学生の頃はよく「朝になったら元に戻るよ」の言葉を信じて強制的に布団に入っていたが今はその朝に、本来なら元に戻れるべき時間に眠っている。朝まで意識があるということ、夜明けを感じるということ、こんなに悲しいことってない。私にとってはね。どうせ人それぞれの地獄だから。同じ家で生まれた姉でも今は仕事頑張って会社内で彼氏なんかできちゃって結婚もほぼ確定で周りからも信頼されてて親戚ウケも良くて間違いなく自慢の娘で、そんな姉にも地獄があるんだって考えたら悪いけど笑っちゃう。人生楽しい?

街中で見かけた、袴姿で花束を持った可愛い女の子。その日は某国立大の卒業式だったみたいで、駅前には華やかな女の子たちで溢れていた。可愛い〜と思わず呟くと「あの子俺らと同い年だよ。俺らもう22なんだよ」と横から現実を教えてきた男は彼氏でもなんでもないのに私と手を繋いでいる。まだ22歳だと思ってたのにもう22歳なんだ、学歴も知恵もお金もない私たちは社会から除け者にされていくんだって目の前の点字ブロックに視線を落とした信号待ち、繋いだ手を小さく握り返す。ここには愛もない。

 

愛する者を失え

ブロンODについて少し真剣に考える。

主治医にずっと言われてるのは「自分がいいと思える自分でいる」つまりいつだって素敵だなと思える自分を選択すること。人生は選択の連続だ。

ヤバイ!トレスポのイントロが流れてきた!!そういえば先日T2(トレスポ20年越しの続編)の冒頭のサントラを流して運転したらリアルに事故りそうになった。

 

今月のバイトは良いのか悪いのか、2連勤からの2連休が多い。体力的にはかなり助かるけど依存症的にはきっと最悪だ。現に明日明後日と連休で、ちょうど1時間前にブロン30Tをえずきながら飲み干して今はルンルンでお風呂に浸かっている。効果はそろそろ出るはず。

そもそもブロン=悪となぜ考えるのか。みんなが映画を観たりコーヒーを嗜むのと同じように娯楽として捉えればそんなに辛くないのでは?とふと思って自分に言い聞かせるようこれは娯楽!とブロンの空箱を手に嬉々としてレジに向かった記憶だってある。

 

正直なところブロンODの最中より飲む前の方が圧倒的にテンションが高い。昨日のバイトもブロンのことばかり考えて、今日終われば夢の時間だぞとひたすらエスプレッソを落としていた。それでもコデイン's Highは簡単には手に入らず、あの多幸感を得るには糖衣でコーティングされたブロン錠を30Tも飲み込まなければいけない。

自分は基本5錠ずつに分けて飲むので、その地獄を6回も繰り返す。6回だぞ?調子がいい時は3回目くらいまで難なくすらすら飲み込めるが今日のように調子が悪い時は1回目でもうしんどい。それをあと5回だぞ?それに加えて糖衣の甘さを誤魔化す飲み物(主にジュース)を用意してなかった場合、水オンリーで流し込むしかない。水という味のない液体と溶けやすい糖衣錠の組み合わせ、口内地獄のSHOWTIME🎪 まず口に入れた時点で吐き戻してしまうこともあるし、なんとか飲み込んでも1錠だけ口内に置き去りにされることもある。これが一番地獄。無事に飲み込めても糖衣の不快な後味は必ず残る。なので予めお口直し用のお菓子(個包装)を用意した方がいい。ちなみにブロンを流し込むのに最適だった液体はかぼちゃスープ。これは先日発見した。うちの母が作る絶品かぼちゃスープ、砂糖も何も入っていない素材100%の甘みで私のおふくろの味。それでブロンを飲み干す。親への有り難みとか申し訳なさも一緒に飲み込む。

 

そもそも私は全てに意味を見出しすぎる。何もかもに希望を持ちすぎ。そして期待値も高すぎ。若者のくせに真面目に深刻に考えすぎ。バイト先の同世代のギャルたちを見習いたい。この若さだったら日常の大半に基本意味なんてない。毎日楽しくのほほんと、一生遊んで暮らしたいなとか思ってればいい。バイト先の対人関係についておや、と思うこともあるが相手は自分のことなんて考えてないし考えてもすぐ忘れてる。ブロンもそれと同じ。日常生活の一瞬の娯楽として軽く受け止めればいい。今のところ人生に深い意味なんてない。

 

ここまで必死にブロンを飲むことを正当化してるが、本当は悪いことだって気付いてる。そうじゃなきゃこんなブログ書かない。一昨年の冬、職場の駐車場で「車のハンドルを握って涙堪えるような人生にだけはしたくない」と思った瞬間を鮮明に覚えている。本当にそう。これは市販薬ODのみならず全ての自傷行為に対して言えること。

 

「人生は正解を探すゲームではなく選んだものを正解に変えるゲーム」と聞いたことがある。

ブロンを買うことが間違っていて不正解なら正解にすればいいだけのこと。一度落ちるとこまで落ちて前を向けばその選択は正解になる。今までの人生における過ちも全て不正解で、じゃあそれを正解に変えようと努力したことは?もし選んだ未来を正解に変えることすらできないなら、生まれてきたこと自体が間違いだろうか。

 

定期的にやってしまうカウンセリングすっぽかし事件をまたやらかして再予約の電話もできないまま1ヶ月が経った。バイトの休憩中に外に出て震える手で精神科に予約の電話を入れる虚しさが分かるだろうか。電話を切ると何食わぬ顔で店に戻りエプロンをつける。笑顔で挨拶、ラテにお砂糖は入れますか、ご一緒にスイーツもいかがですか、お席までお持ちしますのでお好きな席でお待ちください。冷蔵庫を開ける、エスプレッソを落とす、スチームをする、まだ修行中のラテアートは適当に誤魔化す。こんにちは、いらっしゃいませ、早く死にたい。根本的に見れば私も皆んなと同じ何かを抱えた普通の人だろう。そしてこの虚しさが本当に好きだったりする。

 

Twitterでたまに「ブロン」と検索をかけては同士かもしれない人たちをぼんやり見るのが好きだ。先日見たのは「深夜唐突にブロンが飲みたくなって隣町の薬局まで車を走らせる時のワクワクをみんな知らない」。的確すぎる虚無と皮肉に思わず唸りプロフィールに飛ぶと藝大生だった。もう何も言えない。アーメン。

 

今描いているファニーゲームの模写が終わったら来年の県展に向けて大きいパネルにちゃんとした作品としてデッサンをする予定でいる。対極のものを組み合わせたいと思っていて、それは質感だったり一般的なイメージだったり色々。資料集めとして、日常風景の中でいいなと感じた瞬間はすぐに写真を撮るようになった。今はコンビニで簡単にプリントできる時代だし、視覚的な思い出を少しでも残しておきたい。先日バイト終わりに画塾まで向かう道中、時間帯のお陰もあり夕暮れがとても綺麗だった。パステルピンクのグラデーション。瞬間的にこんな空を描きたいなとスマホを取り出したがそこで今自分が描こうとしている絵を思い出す。鉛筆デッサンは黒一色だ。テクニック次第で質感や空間などは表現できるけど夕暮れの絶妙なグラデーションは鉛筆デッサンには確実に不向き。虚しさとともにぼんやり、白黒の絵しか描けない(描かない)って虚しいこと?

  

今はまだ不安でいいと先生に言われた時、久々に安心したしちゃんと納得もできた。それでも不安なまま市販薬を流し込むだけじゃこの日常は好転しないことも分かりきっている。これから描くデッサン作品が自分にどんな影響をもたらすのかまだ分からない。本音を言うと若干嫌な予感もするがきっといつも通りの過程だろう。その時陥ると全てが絶望的に見えるだろうが大丈夫。今までその繰り返しだったことを忘れないで。その苦痛は死ぬまで続くことも。

 

 

大好きな映画、T2トレインスポッティングの終盤で主人公のレントンが早口で興奮気味に捲し立てるシーンがある。使い古した諦めの中に垣間見える期待が眩しい。いつ見ても聞いても何かを思い出させてくれる素晴らしい脚本。

『選べ、ブランド物の下着を。むなしくも愛の復活を願って。
バッグを選べ。ハイヒールを選べ。
カシミヤを選んでニセの幸せを感じろ。
過労死の女が作ったスマホを選び、劣悪な工場で作られた上着に突っ込め。
フェイスブックツイッター、インスタグラムを選び赤の他人に胆汁を吐き散らせ。

(中略)

子供を産んで後悔しろ。
あげくの果て、誰かの部屋で精製された粗悪なヤクで苦痛を紛らわせろ。
約束を果たさず人生を後悔しろ。
過ちから学ぶな。
過去の繰り返しをただ眺め、手にしたもので妥協しろ。
願ったものは高望み。不遇でも虚勢を張れ。
失意を選べ。愛する者を失え。
彼らと共に自分の心も死ぬ。
ある日気づくと、少しずつ死んでた心は空っぽの抜け殻になってる。
未来を選べ。』

 

 

 

頭部は何重にも包まれたように重くお腹の中で何かが蠢いている。指先の感覚も動かさなければそのまま消えていき透明と化す。眠気はひどいのに瞼はやけに軽く息も落ち着いている。目を閉じて瞼の裏で何かが分裂していく感覚に溺れる。脳のどこかを取り除いてうつを消し去るロボトミー手術が昔は存在したのかとぼんやり思う。それでも夜は明けない。

 

本来の私は向上心が高く真面目でいつだって本気で物事に取り組む。穏やかで平和な毎日を望み周囲の幸せを願う。こんな小さな世界でも誰かとの繋がりは大切でかけがえのない資産。たまにみんなが愛おしくて堪らなくなる。本当に優しくて常識のあるまともな人間。

未来を選べ。自分の人生を、今はまだ不安でもいい。でも人生どうにかなるように今から準備はしておくべき。生まれてきたことを不正解から正解に変えるのは容易いことではない。絶対に愛のある人生を選べるように、私はもう私を許したい。今日もきっと納得できないまま薬局へ向かう。今は色彩の存在しない絵を描いているけど自分が見ている世界はモノクロなんかじゃない。

環境変えても意味なかったなと何回も思い知らされるのに一向に学習しないので死んだ方がいいのではと流石に思う。明日は引っ越し。親ガチャって言葉に嫌悪感を抱くくらいには恵まれている。それに甘えすぎて自分がダメになったのか、いちど母に「こんなはずじゃなかった」と泣きながら言われたことがある。どんな気持ちだったんだろう。母本人はもう忘れているかもしれないが私は死ぬまで絶対に引きずる。

コデインは消えてもカフェインがまだ体内に残っていてそのせいか頭痛がひどい。今日はバイトだったけど仕事自体に支障は出なかった。それでもずっと頭の中はモヤがかかったようで接客中もエスプレッソ落としてる時もずっと他人事のようで誰かVR操作してる?みたいな感覚だった。帰宅してから本格的に頭痛が酷くなり化粧だけ落として即寝た。12時ごろ目覚めて起きて、いつも通りの虚しい気持ちで階段を降りたけど正直これくらいが一番自分らしくて安心する。本当に嫌ならとっくに抜け出せてると思うし。食事は用意されてたけどチンするのも面倒でああ本格的に鬱なんだなと思い知らされる。冷蔵庫にあったやっすい赤ワインを飲んだけど全然美味しくて微妙な気持ち。どの音楽を聴いても映画を観ても満足できない。この虚無感は何物にも代え難く死ぬまで輝き続けるだろう。仮に今死ねてもそれは肉体だけの話で魂はずっと彷徨い続けるかもと思うと怖くて眠れない。頭痛はまだ治らない。明日の引っ越しでまた何かが変わると思いたいけどただの過程できっと何も変わらない。バイトもあるし画塾もある、スマホ代の支払いも精神科の受診も画材屋のセールもドラッグストアでの買い出しもずっと続く。何事も変わらずきっと毎日が過ぎていく。その中に虚無も鬱もポジティブも向上心も絶望も入っている。まともな意識があるうちにこれ以上自分を苦しめるのは辞めたい。

空に触れたかった

 

久々の画塾ではいつもの席が散らかってるからと言われ他の生徒ががっつり木炭デッサンしてる場所に放り込まれる。先生はこういう時に限っていつもタイミングが悪い。広い部屋の中で全ての石膏像に見つめられている。目のない彼らが私を見ている。木炭デッサンの視覚的な触感には落ち込んでいる時ほど寒気がするし不快に思う。画塾を自分の居場所というよりは先生に会える場所だと認識している気がする。絵を描くということは前提ではない。他の生徒の会話が聞こえる中何もわからず涙だけがゆっくり時間をかけて滲んでくる。孤独は感じないし孤立もしていない。ここにいる自分は気高い人間だと思いたいけどきっとしょうもない欠片。テーブルの上に置かれた無数のモチーフにも嫌気がさす。ポカリとコーラ、ソープディッシュ、訳の分からない形の一輪挿し、スパイダーマンの置物、ダースベイダーの頭、ストライプの紙コップ、ボロボロの参考書、多摩美の赤本なんて誰が買うの?もう愛想さえしたくないので皆んな笑ってても笑わない。絵を描く人間はみんな異常者で毎晩泣くような人種だと知ってはいるがなぜそんなにも書けるのかわからない。自信があるのか描くことで自分を保っているのか駆り立てているのかそれ以外か。みんなそれぞれ違う気持ちで絵を描いていますよと言われそうだねと簡単に納得するが自分が言いたいのはそんな事じゃない。この教室にある時計はどれも全て絶妙に時間がずれていて、入試対策として行われる時間内にデッサンする模擬試験の時はいつも生徒が混乱しているのをよく見ていた。もう生徒はほとんど帰って今部屋には私と先生と死ぬほど嫌いな精神病匂わせ女の3人しかいない。嫌な空間なのに帰る気はなくずっと丸椅子に座って世界素描大系を見つめている。私が死んだら家族もバイト先の人も悲しむだろうが先生はきっと何事もなかったかのように表面上だけ取り繕っていつも通り教室を開けるだろう。鉛筆が床に転がる音が響いて現実に引き戻される。目の前には無数の卓上デッサンが壁に貼られているがここに自分の絵が貼られることはない。藝大へ行った先輩が描いたデッサンは流石にわかるが他は正直どれも一緒に見えるしどれも上手いと思う。先生が私に描ける描けると言うのは何故か、死んでもお世辞は言えない人だから自分はそれなりに描けるんだと思うけどその言葉が自信に直結するほど幸せな性格をしていない。欲しいのは居場所ではなく死に場所だけどどちらも簡単には見つかってくれない。