生きるとは喪失です

本当に追い詰められた時じゃないと書けない文章があります。それが前回のブログです。

前回の記事ではメジコンODした時のことを書くつもりが長すぎて序章になってしまい、肝心の本編は一応今回になるんですが、正直メジコンデビューの日(4/17)から時間が経ちすぎてあまり覚えていません。17日以降にも何度かメジコンで狂ってしまい、一部記憶がないのもあるし何より全ての記憶がごちゃ混ぜになってしまっている。

なので今回はレポではなく、メジコンODで印象的だった幻覚や感情を書いていきます。服用から効果が出るまでは17日の記憶ですが、薬が効いてからのことは記憶が混ざっているためほぼ覚え書きになります。全体的にまとまりはないですがそこは悪しからず…。

 

 

初めてのメジコンODは深夜2時、20tを水で流し込んだ。フォロワーから20tで飛べると教わり素直に従う。ブロンとは違ってメジコン錠はシートに収まっており、あまりにも小さく頼り甲斐のないその大きさに不安を覚える。小さすぎてシートから押し出した実感がほぼない。絨毯に落としても気付かないだろう。高価なので慎重に手のひらに乗せて、一気に飲み込んだ。

ブロンとは比べ物にならないほどの飲み易さに感動する。本当に飲めてる?手のひらに出した時の「これがあの…!」という感動は呆気なく消え去った。

 

私は基本的に薬を飲んだらすぐお風呂に入る。大体の薬は1時間後に効果が出るので、それまでに面倒な風呂を済ませてからまったり薬を楽しもうというタイプ。ブロンの場合は基本入浴中に効果が出始めるのを待つ。ブロンOD中の長風呂ほど楽しいものはないから。

ただメジコンはDXMで刺激が強いため歩行困難になる可能性がある。風呂場でキマって全裸で倒れることだけは避けたい。その日は20tを流し込んですぐにシャワーだけ急いで済ませた。

 

ちなみにDXMのODは今回が初めてではない。忘れもしない2019年の7月9日、一度だけコンタックを酒で飲んだことがある。その日は私の数回目の自殺未遂記念日で、姉の誕生日でもあった。もちろん本気で死ぬ気なんてなかった。当時も普通にキマったしコンタックに悪い思い出はないけど私にはあまりハマらなかったのか、それ以来使用することはなかった。

 

約1時間後、ぼんやりと視界のコントラストが強くなってきたのを感じる。立ち上がると体がふわりと軽い。よくメジコンには音楽が合うと聞くけどこの時点ではまだそうでもない。

段々と浮遊感が強まる。ここでソファに寝転びひたすらスマホをいじる。しばらくしてテレビに視線を移そうとスマホから顔を上げ、首を回した瞬間に視界がぐわんと歪んだ。ああきた。ここで俗に言うジェットコースターがくる。上体を起こしたり倒したり、それだけで死ぬほど楽しい。約4年ぶりの興奮。まだ吐き気はない。現在午前3時。 

 

ピークは確か2~3時間後だったと思う。視界の変化が酷く全てが二重に見える。VR操作をしているような視点で自分の体という実感がない。イヤホンから聞こえる音は驚くほど鮮明で透き通っていて滑らかなのに、テレビから聞こえる音は不快にこもっていて聞き取りづらい。ほぼ雑音だ。

この日私はメジコンを飲んだら必ず日記(というか記録)を書こうと決めていた。日記といっても自分しか見れないインスタの鍵垢に投稿するだけだけど、これが案外良くて飽き性の割には継続できている。本当はノートとペンを用意して字を書きたいけどスマホの手軽さには勝てない。

ブロンODの時に書くのはその日の出来事や感情といった所謂普通の日記。しかしお察しの通りメジコンODではそうはいかない。視界が狂って目に映るすべてが二重に見えるので常にウインクして無理やり焦点を合わせて震える手で文字を打つ。目をいったん休ませようと閉じた瞬間、今度は閉眼幻覚が待っている。ここで少し宇宙に浸る。目を開けるとさっきまでの記憶が当たり前のように飛んでいる。そのためメジコンOD中に書いた日記は支離滅裂で誤字脱字も酷い。けれどメジコンを飲んだ時にしか生み出せない言葉も確かにある。たまに出てくる本音はシラフの時に読み返すとゾッとするほど。以下コピペ。

 

「今はがんぎまってて確かに楽しいけど視界とかいつもと違う感覚にテンションが上がって笑い止まらないだけで、根底では孤独が悲鳴をあげている。涙も全然流れる。ブロンだと魂の底からパワーが出てじわじわと、私は大丈夫だからやりなおそうって思える。でもメジコンは誤魔化しているだけでまさに人生オワコン御用達の合法ドラッグだ。幸せだろうか。こんな感覚からカルマが生まれるとは思えない。」

 

 

メジコンで音楽が「見える」というのは本当だ。音楽ありきの閉眼幻覚と言ってもいい。私は何度も宇宙を見たし感情も触った。自分の感情が降ってきたのだ。音楽を利用して脳内にだって入り込んだ。駄菓子みたいなピンク色、あれは脳に見せかけたバルーンハウスだったかもしれない。

ある時はモノクロの草原の真ん中で死んでいる豚を真上から見下ろしていて、どんどん上に昇っていった。どこまで行っても空のまま。宇宙にはいつ着くのだろう。深夜脳内で咲くミクロコスモスに蜃気楼のカーテン。天の川を昇る虹色の鯉。幼稚園児が描いたような花がぐにゃりと曲がる。全てが歪んでそのままそこに落ちていきそう。宇宙の谷だ。テレビから聞こえる雑音だけが現実であり真実かもしれない。

口元だけでも笑おうと機械的に口角を上げる。その行為が幻覚にも反映して、おかっぱ頭の少女が口元だけ糸を引いたように笑っている。少女は植物人間のようだ。そのままセーラー服を着て宇宙で踊っている。その姿がビルに映し出される。遠くから見たらドット絵のよう。たちまちそのビルが平面的に変わり私の方へ倒れ込んでくる。逃げる。これは夢?

 

私の中でメジコンODにうってつけの名曲がある。(あまり良くないことなのでアーティスト名は伏せますが、前回のブログと今回のブログタイトルはその曲から引用しています) 夢のようなメロディーにのって鮮やかに弾ける音。再生ボタンを押して頭をソファの肘掛けに預ける。メジコン効果でぐわんと空間が歪む、音楽が流れる、音も歪む。涙が止まらないとは少し違う、さらさらと綺麗な川のように流れていく。詩的すぎる歌詞に身を預けてメリーゴーランドのように回る脳内に、暗闇の空間に身を沈める。今の私の顎から首までは美しい曲線を描いているだろう。歌詞に重みはなく宙を漂っては消えてゆく、彼があれになりたいと笑ったクラゲのよう。歓びは絶望です、儚く、美化した水泡です。悲しみは血漿です、身体を蒼く巡る液です。私の流した涙は純粋で汚れのない、神聖なものだったと今でも思える。快楽は侘しさです、孤独を肥やす甘い罠です。私の愛しい人、何を思ってこの詩を引用したの。あなたは何を見たの。

 

メジコン特有の効果といえば閉眼幻覚だけど、私は一度だけタイムスリップもした。一定のフォロワーは知っているかもしれないが、私には絶望するほど執着している日がある。私の人生で唯一の虚無なんてひとかけらもなかった日。当時を思い出しながら虚ろな目と震える指先で文字を打っていた。あの夜。深夜1時に街中を突っ切るように流れる川の傍で通話しながらどこにいる?とお互いを探し合っていたとき、パトカーと消防車がけたたましい音を立てて目の前を通り過ぎた。電話越しにもその音が聞こえる。見つけた!川の反対側でこちらに向かって大きく腕を振るシルエットがあまりにも細くて高くて綺麗で、私はその一瞬にタイムスリップした。スマホから顔を上げると私に向かって腕ごと大きく手を振る彼が見えた。顔だけが黒く塗りつぶされて見えない。私はメジコンを飲んでまであの日に戻ろうとした自分に絶望し、同時に自分がどれほど執着しているかを知った。もう2度と戻ることのない日、私が死ぬと決めた日、決めたにも関わらず新しい希望を見つけてしまった日。

 

午前5時、強烈な吐き気に襲われゲロを吐く。吐いてる最中はとにかく苦しくて、このまま呼吸困難で死ねたらいいのにとぼんやり思った。幸運なことに、メジコンODでの嘔吐は最初の一回限りで済んでいる。今でも多少の吐き気は感じるけど実際吐くまではいかない。

ここで外が明るくなっていることに気付く。親が起きてくるまでに2階の自室へ行かねばと急いでリビングを出る。手にはスマホや充電器、ペットボトル、スケッチブック、ぬいぐるみなどでいっぱい。落とさないように慎重に、壁に沿って階段を這うように上がる。この時の感情は?浮遊、焦燥、興奮、そんなこと考える暇もなく気付けば2階にたどり着く。我が家の階段は14段。体感4段。

自室に到着すればもうメジコントリップは終わったも同然だ。もちろんまだ閉眼幻覚は見えるし体も驚くほど軽いままだけど、布団に入った時点で私の頭はおやすみモードになってしまう。もちろん興奮とカフェインのせいですんなり眠れるわけもなく、無意味に体を動かしたり友達とLINEしたり音楽を聴いたりして心を落ち着かせる。朝陽が昇り部屋が明るく照らし出される。夜は私をどこかへ連れて行ってくれる。朝は私を焼き尽くす。この先あと何回絶望の朝を迎えるだろう。涙で枕が湿る感覚をどれだけの人が知っているだろう。学生時代は「朝になれば元に戻る」と言い聞かせて辛い夜を乗り越えていたけど、今では本来戻るべき朝に目を閉じるから何もかもが麻痺してしまった。ここで私のメジコントリップは終了する。約5時間の長旅、お疲れ様でした。

 

 

ここで私がメジコンを使ってまで宇宙に行く目的を考えてみる。例の「ある日」を境に私の生活はすっかり変わり映えがなくなってしまった。普通にバイトへ行って毎日ブロンを飲んでたまに憂鬱になって友達とLINEしてご飯も普通に食べて自分なんて生まれてこなくて良かったんだよなあとぼんやり思ってお風呂に入ってTwitterしてインスタ見て…。本当に単調だ。悪く言うと色褪せている。前はもっと毎日の何気ない生活でさえ色鮮やかだった気がする。そこが厄介で、メジコンやブロンを飲むとまた鮮やかに戻ってくれる。でも幸せな時間は長くは続かない。期間内の幸福と逃避。数時間後には効果も切れてまた色褪せた日常が待っている。それを繰り返すうちに身体はわかりやすく壊れていく。心は最初から壊れたままで、もはや修復不可能だ。

それでも生活は続く。夜は明ける。みんな何食わぬ顔して生きている。私も涙堪えてボロボロの内臓と心を隠して笑顔で接客する。バイト中でもふと感じる、私これからどうなる?どうしていく?

私は幸せになりたい。わからない。何もかもがわからない。全ての感情が本当なのかわからない。決意も小さな希望も驚くほど短期的でもう信じられない。だからメジコンを買う。吐き気を我慢してブロンを飲み込む。支離滅裂に聞こえるかもしれないが私だって理解できてない。理解することを放棄して薬に逃げている。でも薬を飲むことで感じられる幸せも気付きも確かにある。それ以上にシラフで幸せを感じることに憧れている。薬の空箱をレジに持って行き登録販売者からの説明を強引に聞いている時、視線をどこにやればいいのかいつも迷う。ブロンの箱なんてもう見慣れている。店員の目を見るなんてもっとできない。私は一般的に見て敗北者であり可哀想な人であり、普通の若者でもある。市販薬依存でも明らかにラリってる訳じゃない。普通の女の子と同じように韓国コスメだって好きだしアイドルも好きだし流行りの曲も知ってるし美容にも気をつかう。見せかけだけじゃ何もわからない。私の内臓がボロボロだなんて誰も知らない。私は普通に歩き続ける。誰が見ても普通と認識できるくらい確かな足取りで咳止め売り場まで歩く。少し前から呪文のように言い聞かせるようになった。私は絶対に可哀想なんかじゃない。

 

実は今もメジコンをキメていて、若干効き始めている。なのでこれ以上悲しいことを思い出す必要もない。まさにその通りなんだ。20代で死ぬと言った途端私を試すように突き放した心理士も私の病気を理解したふりして見栄を張ることしか頭にない両親も、みんな分かりっこない。私がどんな気持ちで薬を飲んでいるか、依存するに至ったかまでわからなくていい。大事なものなどわからないから。頭が回らなくなってきた。私はこれからお得意の現実逃避旅に出掛ける。いってらっしゃい、おかえりと言ってくれる人はきっとどこにもいない。それでももう大丈夫。閉眼幻覚に身を任せて音楽を見よう。感情を触ってあるはずのない何かをやさしく抱きとめて、可哀想な自分と吐くまで向き合おう。